お迎えの帰り道、少し前を歩くママ友が振り返って、うれしそうに言いました。「うちの子、英検5級受かったの」。「えー、すごいね!おめでとう」と、私は笑顔で返しました。本心です。本当にすごいと思ったし、その子のことも好きです。
なのに、別れて角を曲がったあたりから、様子が変わります。隣で手をつないでいるわが子が、道端の石を蹴りながら歩いているのを見て、なぜか苛立っている。「あなたはもう少しちゃんと……」と口から出そうになって、慌てて飲み込みました。この子は何も悪くない。さっきまで、いつも通りの帰り道だったのに。
家に着いて、夕飯を作りながら、今度は自分に苛立ちます。嫉妬した。友達の子の合格を、素直に喜べなかった。しかも、その矛先を自分の子に向けそうになった。——なんて母親だろう。合格を聞いた瞬間より、そのあとのほうがずっと落ち込んでいる。そんな夜でした。
もし今、同じような帰り道を歩いてきたのなら、先にこれだけ言わせてください。比べてしまうこと、嫉妬してしまうことは、あなたの人格の問題ではありません。母親であれば、ほとんど誰もが通る道です。私自身、何度も通りました。
比べてしまうのは、母親の本能に近いもの
「比べちゃいけない」と、私たちは何度も言い聞かされてきました。育児書にも、SNSにも、そう書いてあります。でも、比べる気持ちは意志で消せるものではありません。わが子と同じ年頃の子が目の前にいれば、目は勝手にその子を見て、頭は勝手に並べてしまう。それは、子供を守るために周りを見張ってきた、親としての古い仕組みのようなものだと私は思っています。
だから、「比べないようにしよう」と頑張るほど、苦しくなります。比べた自分を責めて、責めた自分にまた落ち込む。二重、三重に重くなる。まず「比べてしまった。それは自然なことだ」と、いったん認めてしまうほうが、ずっと楽になります。
しかも今は、SNSを開けば、誰かの子が英語でスピーチをしている動画が流れてくる時代です。比べる材料は、こちらが探さなくても向こうからやってくる。そんな中で「比べるな」と言われても、無理な話です。だから私は、「比べない」ではなく「比べたあと、どうするか」だけを考えることにしました。
ママ友の子の英検合格に揺れたのは、子供への不満ではなかった
落ち着いてから、あの帰り道の苛立ちを、もう一度見つめてみます。私はあの時、本当に子供に不満があったのでしょうか。石を蹴りながら歩く姿は、いつもの姿です。前の日まで、かわいいとしか思っていませんでした。
変わったのは子供ではなく、私の中の物差しです。「英検5級」という言葉を聞いた瞬間、頭の中に「うちはまだ何もない」という比較が立ち上がって、その不安が、いちばん近くにいたわが子に向かってしまった。つまり嫉妬の正体は、子供への不満ではなく、「私はちゃんとやれているのか」という自分への不安だったのです。
その不安が子供に向かうのは、子供がいちばん近くにいて、いちばん安全な相手だからです。ママ友には向けられない、自分にも向けたくない。だから、隣で手をつないでいる子に向かう。それは、あなたが冷たいからではなく、それだけ不安が大きかったということです。
「周りの子はもっと進んでいる気がして、焦ってしまいます」というご相談を、これまで数えきれないほどいただいてきました。話を聞いていくと、ほとんどの場合、お母さんが気にしているのは子供の英語力そのものではなく、「親としての自分の選択が間違っていないか」です。そのあたりの構造は、「うちの子だけ英語ができない」と焦る親が見落としている1つの真実にも書きました。
今日からできる小さなこと——比べる相手を、一人に固定する
ひとつめは、比べる相手を「他の子」から「半年前のうちの子」に固定することです。比べる癖そのものは消せません。だったら、比べる相手を選び直す。半年前、この子は先生に手を振れましたか。単語を一つでも口にしましたか。画面の前に座っていられましたか。並べてみると、何かしら進んでいることが、きっと見つかります。夜、一人になったときに、「半年前より、この子はここが進んだ」と、一つだけ心の中で言ってみてください。他の子の合格と、その一つは、まったく別の物語です。
ふたつめは、「英検の級は今の到達点であって、才能の証明ではない」と、自分に言うことです。合格した子は、その日、その級の問題に届いた。それは本当にすごいことです。でもそれは「その子がどこまで伸びるか」も「うちの子がどこまで伸びるか」も、何も決めていません。テストは、通過した瞬間の地点を示すだけ。子供の英語は、その地点の前も後も、ずっと続いています。私も、他の子の合格を聞くたびに、この言葉を心の中で繰り返してきました。
そして、測られない場所で育っている力があることも、覚えておいてほしいのです。あい子供英会話ではテストをしていません。合否の前に、英語を嫌いにならないこと、毎日の当たり前として英語に触れること、そのほうが長い目で見て大切だと考えてきたからです。級を取る子も、取らない子も、同じ画面の前で、同じように少しずつ進んでいます。
あの帰り道のあなたは、嫌な母親だったのではありません。わが子のことを、いつも通り真剣に考えていただけです。比べてしまう自分を、責めなくていい。比べた先で、わが子の半年前を思い出せたなら、それでもう十分です。同じように帰り道で揺れてきた母親として、一人で落ち込まないでほしいと思っています。他の子ではなく、この子の昨日と今日を、一緒に見ていきませんか。