「もう英語やりたくない」。子供が何気なく言ったその一言に、自分でも驚くほど強く、胸を突かれました。理屈では、子供の気分の波だとわかっている。それなのに、私は動揺していた。まるで、自分の人生を否定されたみたいに。
そこで、気づいてしまったのです。私は、この子に英語をやらせているんじゃない。英語で苦労した自分の人生を、この子にやり直させているんじゃないか。留学先で話せずに引きこもった日々、仕事で悔しい思いをした場面。あの時できなかった私を、この子の英語で取り返そうとしている——。そう思った瞬間、自分が怖くなりました。
認めるのが、怖かった。「子供のため」という言葉の下に、こんなに大きな自分の劣等感が埋まっていたなんて。こんなことを考えている母親は私だけだと思っていましたが、そうではないと後で知りました。「自分ができなかったから子供に、と思っている自分が嫌になる」というご相談を、これまで何度もいただいてきました。私自身が、まさにそうでしたから。
だから、最初に言わせてください。動機に劣等感が混ざっていることは、悪ではありません。ほとんどの親が、そうです。問題は、混ざっていることそのものではなく、混ざっていることに気づかないまま、子供に背負わせてしまうことです。
親の劣等感が子供の英語に混ざるのは、当たり前のことです
考えてみれば、当然なのです。自分が困らなかったことを、子供にわざわざやらせようと思う親は、あまりいません。「英語で苦労した」という経験があるからこそ、「この子には」と思う。劣等感は、願いの出発点でもあります。出発点に劣等感があること自体は、責められることではありません。
私がこの仕事を始めたのも、自分が話せなくて苦しんだからです。その意味では、私の教室そのものが、劣等感から生まれています。だから、劣等感を出発点にしていること自体を、あなたに恥じてほしくないのです。
ただ、劣等感が「動機の全部」になった時、子供の英語は子供のものではなくなります。子供の「やりたくない」が、自分の過去を否定されたように聞こえる。子供の「わからない」が、あの日の自分の「わからない」に重なって、必要以上に苛立つ。こういう時、親は子供を見ているようで、過去の自分を見ています。そして子供は、親の目が自分を通り越してどこか遠くを見ていることに、意外と気づいています。
気づいた時点で、動機は置き換えられます
ここが、いちばん伝えたいことです。劣等感に気づいたあなたは、気づく前のあなたとはもう違います。気づいた瞬間から、動機を「私のため」から「一緒に」へ、置き換えることができるからです。
「私ができなかったから、あなたにやってほしい」は、子供に自分の宿題を渡す言葉です。「私はできなかったけど、一緒にやり直したい」は、子供の隣に座る言葉です。渡す側から、隣に座る側へ。劣等感の中身は同じでも、立つ場所が変わるだけで、子供にとっての英語の意味は、まるで変わります。
子供の「やりたくない」の聞こえ方も、変わります。隣に座る側になると、「やりたくない」は自分への否定ではなく、「今日は隣にいてほしい」という合図に聞こえてくる。同じ言葉が、違う意味を持ち始めます。
英語教育が親のエゴなのか、未来への投資なのか——この問いには、以前英語教育は『親のエゴ』なのか『未来への投資』なのかという記事で向き合いました。今なら、こう付け加えたいと思います。エゴが混ざっているかどうかではなく、エゴに気づいた親がその後どこに立つかで、答えは変わる、と。
今日からできる小さなこと——紙に3行、書いてみる
ひとつめは、「なぜ英語をやらせたいのか」を、紙に3行だけ書くこと。誰にも見せないと決めて、きれいごとを一切書かない。「私が話せなくて悔しかったから」と一行目に来ても、それでいいのです。書き出してみると、劣等感と、この子への本当の願いが、別々の行に分かれて見えてきます。混ざっているものを分けるだけで、動機は扱えるものになります。
私も書いてみたことがあります。一行目は、自分でも目をそらしたくなるような内容でした。でも三行目に「この子が、自分の言葉で世界とつながれますように」と書いた時、それが本当の願いだと、やっとわかりました。一行目があるから、三行目が見える。順番は、それでいいのです。
ふたつめは、少し勇気がいりますが、子供の前で「ママは英語が苦手だったから、一緒にやり直したい」と言ってみること。親の弱さを見せることに抵抗があるかもしれません。でも、この一言で、子供にとっての英語が「ママに言われてやるもの」から「ママと一緒にやるもの」に変わります。そして不思議なことに、口に出して言ったあとは、自分の劣等感が、少しだけ軽くなります。
私がアメリカで英語を話せずに引きこもっていたことは、アメリカで引きこもりだった私が、子供英会話を始めた理由【誕生秘話②】に書いたとおり、あい子供英会話を始めた理由そのものです。だから自分の劣等感を否定はしません。ただ、その劣等感を子供に背負わせない形として、レッスンはマンツーマンで、テストをせず、日本人の教育プランナーが毎月レッスンの外で進捗を分析してご家庭にお伝えしています。親が過去の自分と戦わなくていいように、と思ってのことです。
劣等感のためかもしれない、と認めるのは怖いことです。でもその怖さを越えたあなたは、もう子供に自分の過去を背負わせていません。私も同じ怖さを通ってきました。だから一人で抱えないでください。「私のため」だった英語を、「一緒に」に置き換える道を、私たちと一緒に歩いていきませんか。