始めたばかりの頃、子供が先生の真似をして「Apple!」と言った時の発音が、驚くほどきれいに聞こえました。「この子、耳がいいのかも」「語学の才能があるのかもしれない」。夫にも、実家の母にも、少し得意げに話した覚えがあります。
それから一年。子供は今も英語を続けています。嫌がらず、時々楽しそうに、でも、伸びはゆっくりで、周りの子と同じくらい。特別に速くもなく、遅くもなく。レッスンを横で見ながら、あの日の「才能があるかも」が、静かにしぼんでいく自分に気づきました。そして、しぼんでいく自分に気づいたことに、罪悪感が湧きました。この子は何も変わっていないのに、私の見る目だけが、勝手に上がって勝手に下がった。
こんな気持ちを抱えたことがあるお母さんは、たぶん少なくありません。「うちの子、普通なんだと気づいてしまって」と、申し訳なさそうに打ち明けてくださる方がいます。私自身にも、期待を勝手に膨らませて、勝手にがっかりした時期がありました。
だから最初に言わせてください。期待がしぼんだのは、子供が期待に応えなかったからではなく、期待のほうが子供とずれていただけです。ずれに気づけたことは、この子をちゃんと見始めた、ということでもあります。
「特別」を期待していたのは、私が特別な親でいたかったから
正直に書きます。「この子には才能がある」と思っていた頃、私がうれしかったのは、子供の未来だけではありませんでした。才能のある子の親、という立場が、少しうれしかった。周りの子と比べて、少し安心できた。「うちの子はできる」と思える間だけ、私は不安から自由でいられたのです。「特別な子」を期待していたのは、私が「特別な親」でいたかったからかもしれない。認めるのに時間がかかりましたが、認めてしまえば、肩の荷が少し降りました。
「特別」を手放した後に見えてきたのは、思っていたよりずっと面白い子でした。発音がきれいなことより、先生に自分から冗談を言おうとすること。覚えが速いことより、わからなくても画面から離れないこと。才能という物差しを外すと、その子の輪郭が、はじめてはっきりします。
そしてもうひとつ、気づいたことがあります。「特別」を期待されている子は、しんどい。「この子は耳がいいから」と言われて育った子は、うまく聞き取れなかった日に、自分の価値まで下がったように感じます。才能を信じてもらえることは、子供にとって、いつも味方とは限らないのです。
才能は最初に目立ち、継続は最後に残ります
長年、たくさんの子供たちの英語を見てきて、はっきり言えることがあります。最初の数か月に目立つのは、確かに「才能」に見えるものです。発音がきれい、覚えが速い、物おじしない。でも、数年後に話せるようになっているのは、その子たちとは限りません。
残るのは、続けた子です。ゆっくりでも、毎日のように画面の前に座り、先生と一言ずつやりとりを重ねた子。速い子が飽きてやめていく横で、普通のペースの子が、いつのまにか追い越している。この光景を、私は何度も見てきました。
才能があるように見えた子がやめていく理由も、だいたい決まっています。最初にできすぎたせいで、「できない」に慣れていないのです。少しつまずいただけで、自分は思ったほどではなかった、と感じてしまう。一方、最初からゆっくりだった子は、つまずくことが日常なので、つまずいても止まりません。普通の子を普通のペースで続けさせることは、才能を期待することよりも、ずっと確かなことです。
「英語は才能だ」と信じていた頃の自分に向けて、以前「英語は才能」だと信じていた私へ|継続が才能を超える瞬間という記事を書きました。あの記事を書いた時より、今のほうが、この言葉を信じています。
今日からできる小さなこと——「才能」を家の語彙から外す
ひとつめは、「才能」という言葉を、家で使わないこと。ほめる時も、なぐさめる時も。「耳がいいね」「センスあるね」も、同じ仲間です。代わりに、「今日も先生と話せたね」「昨日より一つ多く言えたね」と、その日にやったことを、そのまま言葉にする。才能は生まれつきのものなので、子供にはどうにもできません。でも「今日やったこと」は、子供が自分で積み上げたものです。
ふたつめは、「今日も座った」を成果として数えること。話せた単語の数でも、テストの点でもなく、画面の前に座ったという事実を、一日分の成果にする。「今日も座れたね。それが一番むずかしいんだよ」。この言葉は、才能のある子にもない子にも、同じように届きます。そしてこれを毎日数えている家の子は、静かに、確実に、続いていきます。
周りの子と比べたくなった日は、比べる相手を「一年前のこの子」に変えてみてください。一年前、画面の前で固まっていた子が、今日は先生に自分から挨拶をした。それだけで、この一年は十分に実っています。
あい子供英会話に来てくれている子のほとんどは、いわゆる「普通の子」です。他のスクールで伸びなかった子も多く、特別に耳がいいわけでも、覚えが速いわけでもありません。だから私たちは、テストをしません。週3回から週5回、20分ずつ、普通のペースで続けることだけを大事にしています。それで十分だと、これまでの子供たちが教えてくれました。
特別じゃないと気づいた日は、この子をやっと等身大で見られるようになった日です。期待を勝手に膨らませてしぼませたことも含めて、私たちは普通の親です。普通の子を、普通のペースで、普通に愛する。それを毎日続けることの尊さを、同じ母親として、一緒に確かめていきませんか。