もし10代の私に、この先の話をしてあげられたとしたら、信じてもらえないと思います。
英語のあいさつすらまともにできなかった私が、今、15年間子供たちの英語教育に向き合っているなんて。スクールを立ち上げる前に何百回泣いたか分からない私が、今、「このスクールを選んでよかった」という言葉をいただいているなんて。
今回は、このスクールがどこから生まれたのか、ありのままにお話しします。
突然のアメリカ行き
2011年3月、夫の海外赴任が決まりました。行き先は、アメリカのケンタッキー州。子供は、まだ生後3か月。
一足先に渡米した夫の後を追って、娘と飛行機に乗り込んだ時の心細さは、言葉にできません。それまでの私は、海外旅行といえば学生時代と新婚旅行だけ。英語は、習ったことはあるはずなのに、現地に着いたとたん、何一つ通じませんでした。
「英語できなくても大丈夫」という言葉のウソ
「現地に通訳がいるから大丈夫」と聞いていました。でも、着いてみたら、もういませんでした。夫も仕事に必死で、休みを取る余裕なんてない。
病院の予約をしなければならない。でも、電話の向こうの言葉が何一つ分からない。助けてくれる日本人の方もいましたが、気を使いながら、気を張りながら——。
数か月後には、外にも出たくなくなりました。
引きこもりました。
夫の一言
「日本に帰りたい」と打ち明けた時、夫に言われた言葉があります。
「自分が高校時代、大学時代に英語をサボってきたからだろ。」
傷つきました。私は遊び惚けてきたわけじゃない。私なりに一生懸命やってきた。なのに。
帰る手段も分からないなら、英語を覚えるしかない。そう思いました。
1000時間の独学
オンラインスクールを探し、一人で始めました。乳児の昼寝の時間、夜中の隙間時間を使って、一日5時間。学習時間が1000時間を超えた頃、急にフレーズごと聞き取れるようになりました。前置詞まで。全部。英語の勉強が——楽しくなりました。
「あの時、英語ができていたら」
帰任の頃には、アメリカ人の友人もできていました。帰国の日、モールで友人と泣きながら別れました。渡航した時にあんなに帰りたかったのに、今度は帰りたくない。
もし10代の時に英語ができていたら、どれだけ世界が広がっていたか。
普通に日本で育って、後から英語を学んでも、間に合わないことがある。この子には、同じ後悔をさせたくない。
それが全ての始まりでした。