2013年、娘は年少でした。独身時代にためていた貯蓄を握りしめて、娘を連れてフィリピンへ渡りました。
「お友達に慣れないよ」という保育園の先生の心配を横目に、「下の子が2歳になったら飛行機代が上がる。小学校に上がったら休めない。今しかない」と自分に言い聞かせながら。
150回のトライアルレッスン
現地では、先生候補の面接、教科書ライターとの打ち合わせを重ねながら、友人の子供たちに協力してもらいました。
「ああでもない、こうでもない」と繰り返したトライアルレッスンは、150回を超えました。
「一人ひとりの希望に合わせた、世界基準のプログラムを届けたい」——それが最初に掲げた理念でした。
「教科書なし」の限界
最初のスクールは完全オーダーメイドのレッスンでした。最初は「うちの子に合わせてもらっている」という特別感があったのですが、数か月後、こんな声が届き始めました。
「今、うちの子がどこをやっているのか、親から見えなくて不安です」
「うちの子、伸びていますか?」
価値観の違いという壁
フィリピンの先生との文化的な摩擦。お母さんの気持ちも分かる。先生の事情も分かる。その板挟みの中で、毎日毎日、私は泣いていました。
「こんなつもりじゃなかった。ただ、一生懸命やりたいだけなのに」
そして、ある日。先生から言われました。「私はロボットじゃない」
一緒に夢を持ってスタートしてくれた先生たちは、2年で去っていきました。